国民性・地方性と金型の相関関係 その2

ものすごくあいてしまう…最近ぐだぐだ


いやー、ありがたいことに仕事が妙に舞い込んできて
気力が消えるぐらい忙しいです。


さて、地方性と金型の相関関係についての続き。


というか、最初は富山県オンリーで書こうと思ったんですが…
それ限定だと「ほかの地区の人から理解できん」と思ったんで。


日本で「工業県」と呼ばれる地区は多くあります。
昔の教科書だと「太平洋ベルト地帯」とか言われてましたが。


正直、その地区って「人が住みやすい地区」という地区が
たまたま直線状に繋がった地区だからというのが本音な気がします。


だって、「製造業=3K労働に近い」ですし。
設計なんて、正直「天才肌・熟練者」がいればなんとかなるもんですし。
どちらかというと、モノ作るときは人足がほしいってのが
どこでも言われてるような気がします。


ある意味、製造業って
「表立っては見えないけど、ある意味カースト制度
みたいなもんですから。


トップ企業の設計者の思い付きを
1次下請けが大体の形状作って
n次下請けが残業・徹夜・高負荷作業で作り上げる。


そのn次の下のほうは、ほとんど奴隷とかわりゃしないのが
製造業の悲しい性というか…


人間の歴史上、奴隷という人種は
「地方から連れてこられる」というのが
一般的だったようですし(知識・性質関係なしで)


今は民主主義の名の下に、地区(日本だったら「都道府県制」)の
独立性があるんで勝手なことは「表立ってはできない」だけですが。


ただし現在では


・教育レベル
・加工機械性能
・ネットワーク(通信)
・フットワーク(輸送)


が飛躍的に進化して、表向きは見えないけれども
「その行為は存続」している気がします。
特に日本なんて「民主主義っぽい社会主義気質」なんで
平均的に教育レベルは高めな感じですね(三十路年代までは)


ある意味、日本人ってそういうファクターが見事に揃い、
その上に、日本人の島国根性がさらに加わって
「モノ作る素質が高い人種になったのだ」と、最近思うのです。


ただし、その「民族的素質」というファクターも
現在までも引き継がれているわけです。


そのファクターを決めるのが「県民性」じゃないかと思うのです。


つづきます。